ときありも blog

~無気力な三十路公務員の雑記ブログ~

【回顧録】民間企業(自動車会社)を退職したきっかけ

【はじめに】

 大学卒業後、自動車会社へ入社。元々自動車が好きだったという訳ではなく、自分が育った地域のメイン産業が自動車ということもあり自動車会社への就職を決めた。

業務内容としては、主に電気自動車やハイブリット車のバッテリー試験を担当。詳細については次のとおり。

  • バッテリー単体を用いた劣化推移試験
  • バッテリー単体を用いた使用環境の違いによるバッテリー性能の比較試験
  • バッテリーパックを用いた劣化推移試験
  • バッテリーパックを用いた使用環境の違いによるバッテリー性能の比較試験
  • バッテリーパックの制御を司るBMUの試験
  • 試験結果の報告書作成
  • 試験結果を基にした制御の改善案作成(特許提案含む)

 上記の業務を3年間実施した結果、多数の特許を取得することもでき、業務内容としては非常に満足していた。また、自動車会社の社員として働いていく中で、○○の車がかっこいいだの性能がいいだのと感じ始め、自動車への興味を持つきっかけとなっていった。

 

 

【前職での不満】

 働いていく中で不満がなかった訳ではない。当然どの会社でも不満ゼロな訳はないと思っていたので、これぐらいのこと我慢すればいいかなとは感じていた。(我慢できないレベルの不満ができたときには転職すればいいかぐらいには思っていたが)

何に対して不満を感じていたか。それは、残業時間についてである。今から思えば不満に思うレベルではなかったと思っているが…。残業時間は大体月に60時間。前残業が許されていたので、朝7時頃から勤務し、夜8時頃に終了するという感じ。自分は独身であったためそこまで不自由には感じなかったが、結婚し家庭を持ったときに家族一緒に食事取れないのは寂しいなと思いながら勤務していた。

 

【転職を決意したきっかけ】

 小さな不満はあったものの、転職しようとまでは思っていなかった。しかし、ある出来事が転職を決意させた。その出来事はなにか。

 平日、いつも通り勤務していた(たしか残業中)ときに課長から課内全員を急遽参集するように指示が。なぜ集められたか全く想像できなかったが、課長から「今日、全国ニュースで当社が報道された。理由は、○○○(○は特定防止のために伏せさせてください。)。帰りの道中に報道各社が来ていると思うが、インタビューには応じないこと。」とのこと。聞く限りでは課長も詳細は知らない感じか。平社員には、全国ニュースの報道後じゃないと知らされないんだなー。とあたかも当事者ではないような感じで聞いていた。その話があってからは同じ課に配属されている同期と今後について(主に転職はどうするかだったはず)話しながら事務所へ戻った。今から思うと、こんなに一瞬で転職のことを考えるもんなんだなと。

 その後は、仕事など手につかないので残業せずに寮へ帰宅。食堂での食事中もテレビでは当社の事件が流れ、同期とテレビを見ながら今後の行く末について話していた。自分の担当業務が関係している事件ではなかったため、当事者意識はかなり薄い。本来はそんなことでいいのかなとは思うが。調査が進むにつれ、様々なことが分かってくる。実は、自分が入社する前の出来事だったこと。ほぼ定常的に行われていたこと。下請け企業に擦り付けようとした会見を行ったことなど、色々とドン引きさせる内容のニュースがほぼ毎日繰り返されていた。

 そんな環境下では、仕事に身が入らない。職場でも若手社員との会話の中心は転職活動についてとなっていった。早々に内定を貰った先輩もいたし、なかなか内定が得られない先輩・同期もいた。主な転職先は、同業他社が多かったが、中には自分と同様に公務員試験を受けるといった人や、異業種にいきたいという人など様々な形ではあったが、かなりの人が転職を考えて行動していた。

 主に未婚の20代が転職に向けて行動していたが、中には家族がいるけども転職する決意をいた人もいた。自分も独身だったので、何の気兼ねもなく転職を決意できたが、結婚していたらどうだったのだろうか。こんなにすぐに決意することは難しかっただろう。その点では、事件発覚のタイミングは不幸中の幸いという感じかなとか様々なことを考えるきっかけとなった。

 

 

【最後に】

 この事件を経験したことで、普通では経験できないような経験をすることができたし、今となってはプラスに捉えることができている。転職先が自分に合っているか、前職のままの方が良かったのではないかと感じることももちろんあるが、当時の決断は間違っていたとは思っていない。そう思えるだけでも幸せな毎日を過ごせていると思う。

 人生何があるか分からないなとすごく感じたが、その都度その都度考えながら行動していけば何とかなるものだなと改めて感じるいい機会であった。もう二度と同じような経験はしたくはないが…。